virgo catの日常生活を伝えるブログ

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virgo catの伝えたい事や気になることを伝えていきます!

ツイートの解説

 

202008212100

まずは自ら考える事を推奨する。

 

ヒント

www.encodemaniax.com

 

これより解説を始める。

テーマ『価値観の多様化』

翻訳

サイト『エンコードマニアックス(SJIS)』にて文字化けを変換。

生存ほウ国

 

サイ近時己中新敵出ヒト二対シ手モン9ヲ已フ輩ガ増エ手キタガ、ソンナノ気ニセズ自ブンノヤリタイコトヲ貫イ手イクト良イトオもフ

清書

生存報告

 

最近自己中心的で人に対して文句を言う輩が増えてきたが、そんなの気にせず自分のやりたいことを貫いていくと良いと思う

(『生存報告』に関しては1週間ぶりのTwitter更新の事である為、あまり気にしないで欲しい)

 

シャニマスの二次創作品について『気に入らない設定だからもうかかないでくれ』と、かいている本人に直接突っかかった人物が先日いた。それが少しばかり問題になっており、私も様々な人物がそれについて意見しているのを目の当たりにした。また、その他様々な問題がTwitter上で話題になっていたが、全て『自己中心的な人が増えたから起きた事』のように私は思う。私としては会社や学校で自己中心的な態度を取っている者が自粛期間で人と接する機会が少なくなったために、矛先がネット及びTwitterの個人に向いてしまったものなのではないかと考えている(※数年後に読んでいる人の為に説明をしておくと、2020年現在はコロナウイルスが蔓延している状況であり、自粛を余儀なくされている状態である)

発生した事件の詳細については伏せるが、この呟きはそれに対してのメッセージである。

 

絵画

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イリヤ・レーピン 作『イワン雷帝とその息子』

1885年に制作されたこの絵画は『怖い絵』として有名な作品である。

実際にあったかどうかは明らかになっていないが、これは『イワン雷帝は自分の息子を誤って殺してしまった』という話に基づいて制作された作品だ。ここでは一般的に伝承されている話が事実だと仮定して話を進めていく。

イワン雷帝の息子の妻は妊娠中だった。そのため正装して出席しなければならない行事に略装で参加せざるを得なかったのだが、これが侮辱的だとして雷帝は激怒し、息子の妻を杖で殴った。その結果、妻が流産してしまいその事に関して息子のイワンは雷帝に意見をしに行ったが、激しい口論となり結果として雷帝は自分の息子を間違えて殺めてしまった。先ほども述べたが、この絵画はその言い伝えをそのまま表した作品となっている。

私がこの絵画をツイートに載せた理由は『自分の事しか考えていないものはいつか大事なものを失う』という事を伝えたかった為だ。

言い伝えの通りであるならば、雷帝は自らのプライドを第一にした結果、望んでいない方向に事が進み大事な息子、そして生まれてくるはずだった孫を失ってしまっている。

少々こじつけがましいが、Twitterにて自分の事しか考えていない者へ対して「いつか大事なものを失いかねないぞ」という事を伝えたかったのである。分かりやすい例を挙げるならばけものフレンズ□が該当するだろうか。自分のことだけを考えた行動は作品やコンテンツ等、大切なものを破壊することに繋がりかねない。

しかしこれはこの絵画を選んだ理由のほんの一部に過ぎない。本当の理由はこの絵画自身に起こっている事柄に帰属する。

 

実はこの絵画、二度も破壊行為に見舞われているのだ。

  1. 1913年「死は十分だ、流血は十分だ!」と叫びながらナイフで絵画を傷つけた者がいた。後にその者は精神疾患を患っている事が判明した。制作者であるイリヤ・レーピン氏がまだ存命だった為、絵は本人によって修復された。
  2. 2018年、作品を保護するロープを支えていた金属のポールを絵に叩き付けた者がおり、再び作品が傷つけられた。その者の精神異常は認められなかったが「描かれた出来事は事実ではない」と警察に供述している。

1回目は精神疾患の者だった為、破壊した理由に関してはハッキリしないが、2回目の者に関しては『事実と異なる作品だからこの世から排除しよう』という意思が読み取れる。

この章の最初にも述べた通り、この絵画の出来事は言い伝えに過ぎず、実際にあったものかどうかは明らかになっていない。しかし納得出来ないからと言って他人の作品を排除、破壊して良い事にはならないはずだ。

今回のツイートにこの絵画を載せた真の理由はここにある。要は今回のTwitterでの事件をこの絵画の破壊行為事件と重ねたのだ。

繰り返しになるが、気に入らないからと言ってその人の価値観や作品を否定・破壊して良い事にはならない。人の数だけ考えがあり、また世界は自分を中心に回っているのではないという事を理解するべきだ。

 

URLの動画

Big Brother

youtu.be

平沢進』師匠の楽曲である。

この楽曲は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する人物「Big Brother」を元にして作られた作品であると思われる。この事はつい最近知った事であり、また私自身1984年を読んでいない為、少々元の解釈と異なる可能性があることをまず念頭に置いていただきたい。

小説『1984年』は全体主義国家「オセアニア」が舞台であり、その国の独裁者が「Big Brother」である。「Big Brother」は国のあらゆる場所を監視しており、街には至る所に「Big Brother」の姿とその下にBig Brother is watching you』と書かれたポスターが貼られている。人物のモデルは「ヨシフ・スターリン」であると言われている。

また歌の歌詞は『物陰』→『窓辺』→『目の前』と変化しており、小説『1984年』と連動して独裁者からは逃げられない事と歌い手の恐怖を表したものとなっているように感じる(最も平沢師匠の楽曲なのでそれ以上の何らかの意味が込められているような気はするが)

これを知った時、ふと頭にネットの現状のことが思い浮かんだのだが、この楽曲のコメント欄で私が抱いたものと似たような思考のコメントがあったので引用させていただく。

seizansou

元ネタであろう1984年が出版された時は、描写されていた監視社会(正確には全体主義?)のようなディストピアなんかになってはいけない! みたいな動きもあったとか。
でも今の日本(世界全部かはわからない)では様々なSNSが普及して、監視しているのが「Big Brother(国を独裁している全体主義政党の指導者)」から「他人」に置き換わっただけなのかもしれない。
相互が監視し合い、各自がそれぞれの正義感(千差万別)で「こんな悪い奴がいた!」とインターネット上で匿名で糾弾する。
発信している人々に悪意が無くとも、その情報の波は辺り一面に被害をまき散らす。
今の時代は「ビッグ・ブラザーはあなたを見守っている」のではなくて、「正義の隣人は社会を見守っている」なのかな、と曲を聴いて連想しました。

YouTube『KAKU P-MODEL - Big Brother』のコメント欄より引用

私が抱いた考えがそのまま文章化されている素晴らしいコメントであると感じる。私も現在のネットというのは他人が他人を監視する状態になっていると考えている。ここではこのコメントを軸に話を進めていく。

今回Twitterで起こった出来事は『自分の気に入らないものは排除する』という思想がもたらしたものであったが、この思想こそ「Big Brother」及び「独裁者そのものなのではないか?」というのが私の考えである(歌詞にも『逸脱の民を撃てと』という歌詞がある)

Twitterにて様々な作品を閲覧(監視)し、そして気に入らないものがあれば「もう作るな」と自分勝手な規制をし、その者の作品を排除または価値観を奪う…これをBig Brother(独裁者)」と呼ばずしてなんと呼ぶだろうか。しかも、独裁者はきちんと国の為に動いている事もある為完全に非と言い切れないのだが、Twitterでそのような事をしている者は完全に個人的満足の為に動いているのでたちが悪い。完璧に最悪な方の独裁者である。

この動画を載せた理由は『Twitterで気に入らないものの排除を求めている者はBig Brotherの様だ』と伝える為であった。

 

Big Brother

Big Brother☆ - ニコニコ動画

東方二次創作から生まれた作品を使用した『クッキー☆』動画。

このクッキー☆は出演者の住所特定や声がイメージと違うと言う理由から起こった殺害予告等の事件が過去にあり、また淫夢と結びつけられ様々な風評被害も受けている為、あまり素直に褒められたジャンルではないのだが、あえてこのジャンルの作品を掲載した。

と言うのもクッキー☆関係者を様々な所から監視している視聴者の様が私には「Big Brother」に見えたのだ。歌詞全体がそれに当てはまっている様に感じるが局所的な部分で言えば『隅々に地を覆い 逃亡の夢も砕く』が該当するだろうか。そう考えるとこの動画はかなり皮肉めいたものの様に感じる。しかしこちらもまた理由のほんの一部に過ぎない。載せた本当の理由は別にある。

 

今回Twitterで起こった出来事は『好きなものは他人を気にせず好きなようにやろう』という考えに収束した様に思う。私自身もまたそう感じた為、文章にてその旨を書いた。

私が制作している好きなものと言えば『MAD動画作り』である。私はその活動を他人の評価云々で止めたくないと感じたのだ。その決意としてこのMAD動画Big Brother☆」を載せている。

どういうことかというと、クッキー☆は過去の事件、そして広がり続ける風評被害からそれ関連の作品を毛嫌いする人も多数存在する。しかし、この動画作品はそんな声をはねのけ作られたMAD作品である。またよく見てみるとこの作品は誰かに被害を与えている様な作品では無く、むしろ原曲をかなり忠実に再現した素晴らしいMAD作品となっている(もちろんクッキー☆には「それはどうなんだ?」と思える作品も多数存在するが…。それらに配慮した愛ある作品が多数あるのもまた事実だ)

他人の評価を気にしなかった結果この素晴らしい作品が生み出されたのだとしたら、やはり周りのことは気にするべきではないし、見ている側はむやみやたらに気に入らないものを排除すべきではないと考えたのだ。

またこの動画の制作者は引退と復活を繰り返しているのだが、理由は『合作の重圧に押しつぶされそうになった為失踪を繰り返してしたのでは無いか?』と一部では噂されている。つまり他人にアレコレ言われて好きなことを強要されるより、自由に作品を作った方が良いと言うことだ。

かなり複雑に要因が絡み合っているが、まとめると私がこの動画を載せた理由は『好きなことは自分の好きなように自由にやろう』というものからだ。一つ前に載せたものが「Big Brother」であることと、私自身がMAD動画を制作しておりこの作品のように周りの意見をはねのけて動画を作っていきたいと決意したことも掲載理由の一つではあるが。

 

まとめ

最後に何故Twitterという場所で、暗号として文章を掲載したのかについて話したいと思う。

まずTwitterで行なった理由については、Twitterで起こった出来事はTwitterにて意見をしないと意味が無いと感じたからだ。最初からブログにて想いをつらつらと書き記しても良かったのだが、Twitterでその出来事を起こした加害者、被害者はそのブログ記事を見るだろうか?人によるかも知れないが見る可能性は低いだろう。

そして暗号にした理由だが、Twitterという場所は文字数制限があり伝えられる分量に限りがある。その為、興味を持って解読をしてくれるような暗号形式にし、更には恐怖を感じる絵画、そして不可思議な歌で更に興味を持ってもらい、そこから考えさせる事で載せている分量以上のことを伝えようとした(伝えたい情報量が多かった為、結局はこの記事で解説を載せた訳だが)

また、最近はすぐに答えを聞こうとする人達が多いように感じる為、自分で考えてもらうという事をしてもらいたかったのも理由の一つだ。最もここまで読んでくれた方はマメな人だと考えているので、普段から自分で調べるということが出来ていると思うが…。

 

結果としてあのツイートだけで言わんとしていることが伝わったかは定かではない(反応も少ないのであまり伝わってはいないだろうと考える)

しかし、この記事を通して新たな何かが自分の中に生まれたと言うのであれば私はそれで良いと感じる。好きなことを貫き通す事だったり、絵画や歌、小説の知見であったり、自ら進んで行動する事だったり、はたまた得られることはそんなになかったり…人によってそれは様々であるだろうが。

ともあれ、このツイートは成功と言いがたいが何かの思考の参考になればこちらとしては幸いである。

 

以上でツイートの解説を終了する。

 

追記・補足説明

クッキー☆二次創作の特異性から考える設定の多様性について

二つ目の動画を載せたことに関してもう一つ大事な理由があったことを思い出した為、こちらに追記させていただく。

クッキー☆の二次創作品は元の東方の設定とかけ離れており、完全にオリジナルの世界観で構成されている。しかし、制作者によってその世界観がバラバラかというとそうではなく、ある程度決まった設定が共有されているのだ。何故か?

実は投稿者の一人が設定した世界観を他の誰かが模倣し、それが多数連鎖した事によってクッキー☆はある一定の設定を保った世界観になっているのだ。一人一人が世界観を設定し、さらにそれが無意識的に共有されているかなり珍しいジャンルであると言えよう。

勿論、その大まかな設定から逸脱した作品も存在するが、一人の投稿者が「世界リセットが行なわれている」「ループしており何巡目かの世界」という旨の作品を提示したことで、設定から逸脱した作品をも慣用的に受け入れられる形となった。つまり登場人物が同じなのに関係性や性格が違うという投稿者によって変わってしまう設定を「世界が何巡も巡っているから違うのだ」と説明付けたのだ。

 

さて、ここで話を今回の事件と結びつけてみよう。

今回の事件は『自分は受け入れられない設定だから二度とかかないでくれ』と直接本人に突っかかったというものであるが、その様な意見を持っている人はクッキー☆二次創作の様に世界線が異なるから』と考え、許容してみてはどうかと考えるのだ。そうすればかなり心に余裕を持って二次創作と接する事が出来ると思うのだ。

と言ってもシャニマス自体、アイドルを優勝させるために何度もプロデュースをしているという部分が既に何巡も繰り返している世界と考えられるため、その時点で気付いて様々な設定を許容してほしいものだが…。

どうしても無理という場合は止める様に言うのでは無く、自分からはそのジャンルに近付かないという手もある。嫌なら近付かなければ良いという実に単純な事なのだ。

いずれにせよこれまで語ってきたように人の価値観や作品を無理矢理排除するという行為は、そこから発生するかも知れない素晴らしき作品の未来を奪うことと同義になる為、到底やって良いことではないだろう。私たちは自らの思想を押しつけ他人を殺す「Big Brother」になってはいけないのだ。様々な考えがあるからいくつもの作品が生まれる事を忘れてはならない。

 

今回あえてクッキー☆の動画を載せたもう一つの理由は、このクッキー☆二次創作の特異性を今回の事件と当てはめて説明したかった為だ。繰り返しになるが世界線が違うのだ』という考えを持っていればどの二次創作品にも慣用的になれるだろう。

 

これにて追記を終了する。